退職届を出したあとで、総務から「任意継続にしますか」と聞かれて手が止まる先生は少なくありません。次の勤務先まで1か月空く、開業準備に入る、しばらく非常勤だけで働く。状況によって、有利な選択肢はまったく変わります。この記事では、任意継続・市町村国保・医師国保・家族の扶養という4つの選択肢を、令和8年度の公表額で試算して並べます。前提を明記したうえで、3つのケースごとにどこを見れば判定できるかを整理します。
先に答え: 所得が高い勤務医ほど、まず任意継続を比べる
結論の目安から書きます。前年の所得が高い勤務医が退職する場合、最初の比較対象は任意継続です。理由は、任意継続の保険料の基礎になる標準報酬月額に上限があるからです。全国健康保険協会(協会けんぽ)は、令和8年度の任意継続被保険者の標準報酬月額の上限を32万円と公表しています。令和7年9月30日時点の全被保険者の標準報酬月額の平均額318,100円が、第23級の32万円に該当するためです(協会けんぽ「令和8年度の任意継続被保険者の標準報酬月額の上限について」)。
退職時の標準報酬月額が100万円を超えていても、協会けんぽの任意継続なら32万円で計算されます。一方、市町村国保は前年所得で計算されるため、所得が高いと賦課限度額まで達します。令和8年度の限度額は合計で年113万円です(後述)。この差が、高所得の勤務医で任意継続が有利に出やすい構造の正体です。
ただし、これは「任意継続が常に正解」という意味ではありません。家族の扶養に入れるなら保険料はかかりませんし、開業するなら医師国保が候補になります。任意継続は最長2年で終わるので、その先の行き先も決めておく必要があります。以下、制度の要件を一次資料で確認したうえで、ケース別に判定します。
任意継続の要件: 2か月・20日・2年の3つの数字
任意継続被保険者は、健康保険法第3条第4項で定義されています。要約すると、退職などで被保険者の資格を失った人のうち、資格喪失日の前日まで継続して2か月以上被保険者であった人が、保険者に申し出て、引き続きその保険者の被保険者になる仕組みです。
申出の期限は同法第37条第1項にあります。条文は「第三条第四項の申出は、被保険者の資格を喪失した日から二十日以内にしなければならない」です。資格喪失日は退職日の翌日ですから、協会けんぽの案内でも「退職日の翌日から20日以内」と書かれています。同項ただし書きで、保険者が正当な理由を認めれば期限後の申出も受理できるとされていますが、これに頼る設計は危険です。
もう1つの落とし穴が初回の保険料です。第37条第2項により、申出をした人が初めて納付すべき保険料を納付期日までに納めなかったときは、任意継続被保険者とならなかったものとみなされます。手続きを出しただけでは終わらない、という点は押さえておいてください。
加入期間は、第38条第1号により任意継続被保険者となった日から起算して2年を経過したときに資格を失います。つまり最長2年です。2年より前でも、次の事由に当たると資格を失います(第38条)。
- 保険料(初回を除く)を納付期日までに納付しなかったとき(第3号)
- 再就職などで被保険者となったとき(第4号)
- 後期高齢者医療の被保険者等となったとき(第6号)
- 任意継続被保険者でなくなることを希望する旨を申し出て、その申出が受理された日の属する月の末日が到来したとき(第7号)
第7号は、いわゆる任意脱退です。厚生労働省の事務連絡(令和3年11月10日)によると、この改正は令和4年1月1日から施行されています。資格喪失日は申出が受理された日の属する月の翌月1日で、受理月の保険料は納める必要があります。以前は「2年間やめられない」制度でしたが、現在は国保や家族の扶養に移るために途中でやめられます。この変更は、後述する判定に大きく効きます。
保険料は全額自己負担、上限は標準報酬月額32万円
在職中、保険料は事業主と被保険者で半分ずつ負担しています。任意継続ではこれが変わります。健康保険法第161条第1項ただし書きは「任意継続被保険者は、その全額を負担する」と定めています。
標準報酬月額の決め方は第47条第1項です。次の2つのうちいずれか少ない額が、その人の標準報酬月額になります。
- 資格を喪失したときの標準報酬月額
- 前年(1月から3月までは前々年)の9月30日における、その保険者の全被保険者の標準報酬月額の平均額をもとにした標準報酬月額
協会けんぽの場合、2が令和8年度は32万円です。健康保険組合の場合は、平均額の範囲内で規約で定めた額を使えるほか、同条第2項により規約で退職時の標準報酬月額をそのまま使うこともできます。勤務先が健康保険組合だった先生は、組合の規約で上限の扱いを確認する必要があります。協会けんぽと同じ感覚で「32万円が上限」と思い込まないでください。
納付期日は、第164条第1項ただし書きにより、任意継続被保険者はその月の10日です(初回は保険者が指定する日)。同法第165条により、将来の一定期間の保険料を前納することもできます。
傷病手当金・出産手当金は原則として出ない
任意継続で見落とされやすいのが給付の差です。協会けんぽは、任意継続被保険者期間中に発生した病気・ケガによる傷病手当金と出産手当金は支給されないと案内しています。
例外は継続給付です。健康保険法第104条により、資格喪失日の前日まで引き続き1年以上被保険者(任意継続被保険者などを除く)であった人が、資格喪失の際に傷病手当金または出産手当金を受けているときは、同一の保険者から引き続き給付を受けられます。治療中や妊娠中に退職を考えている場合は、退職日の設定そのものが給付に影響します。この点は退職前に保険者へ確認してください。
市町村国保: 前年所得で計算され、上限は年113万円
市町村国保(都道府県等が行う国民健康保険)の保険料は、所得割・均等割・平等割などを組み合わせて市町村ごとに決まります。上限である賦課限度額は政令で定められています。国民健康保険法施行令第29条の7は、令和8年度の時点で次の上限を定めています。
- 基礎賦課額(医療分): 67万円
- 後期高齢者支援金等賦課額: 26万円
- 介護納付金賦課額(40〜64歳の被保険者がいる世帯): 17万円
- 子ども・子育て支援納付金賦課額: 3万円
合計は年113万円です。市町村の条例でこれより低い限度額を定めることもあるため、実際の額は住所地で確認します。
具体例として、仙台市の令和8年度の料率を見ます(仙台市「保険料はいくら(令和8年度)」)。医療分は所得割率7.96%・均等割27,850円・平等割26,700円・限度額67万円、支援分は所得割率3.00%・均等割10,410円・平等割9,980円・限度額26万円、介護分は所得割率2.44%・均等割9,440円・平等割7,070円・限度額17万円、子ども分は所得割率0.27%・限度額3万円です。
この料率で、単身世帯がどの所得で上限に届くかを逆算しました(計算値)。医療分は算定基礎所得がおよそ773万円、支援分はおよそ799万円、介護分はおよそ629万円、子ども分はおよそ1,040万円で、それぞれ限度額に達します。常勤医として前年に勤務していた先生の多くは、前年所得ベースでこの水準を超えます。退職して収入がゼロになっても、国保の保険料は前年所得で計算されるため、1年目はほぼ上限の113万円(年額換算)になると見ておくのが安全です。
非自発的失業者の軽減は、医師の自己都合退職では通常使えない
国保には、倒産・解雇などで離職した人の保険料を軽くする制度があります。厚生労働省によると、対象は雇用保険の特定受給資格者(倒産・解雇などにより離職した者)と特定理由離職者(雇い止めや、疾病等の正当な理由のある自己都合により離職した者)です。軽減の内容は、失業時からその翌年度末までの間、前年の給与所得を30/100として算定するというものです。
医局人事や自己都合での転職は、通常この対象に入りません。ただ、雇い止めや病気による退職であれば、雇用保険の離職理由の判定次第で対象になり得ます。この場合、国保の保険料が大きく下がるので、任意継続との比較結果が逆転することがあります。雇用保険の離職理由については医師が退職したときの失業手当で整理しています。
なお、国保へ加入する場合は、健康保険の資格を失ってから14日以内に世帯主が市町村に届け出ます(国民健康保険法施行規則第3条)。
医師国保: 定額中心だが、加入できるかは規約で決まる
医師国保(医師国民健康保険組合)は、組合ごとに規約で加入資格と保険料を決めています。全国共通のルールはありません。ここでは、加入要件と保険料を詳しく公表している栃木県医師国民健康保険組合を実例として取り上げます。
加入要件の実例(栃木県医師国保)
同組合の「新規に加入するとき」によると、第1種組合員(医師)の加入要件は、栃木県医師会会員である医師であること、医療・福祉の事業または業務に従事すること、地区内(栃木県、福島県、群馬県、茨城県、埼玉県、東京都)に住民登録があること、社会保険等に適用されないこと、新規加入時に75歳未満であることです。
退職後の医師にとって重要なのは次の3点です。
第一に、個人事業所の事業主医師(個人開業)は加入できます。第二に、新規加入時にすでに法人事業所の場合、事業主医師は加入できず協会けんぽの強制適用になります。個人事業所のときから医師国保に加入していて法人化する場合は引き続き加入できます。第三に、社会保険等に適用されない非常勤の勤務医師は加入できるとされています。
つまり医師国保は、医師会入会と住所という2つの関門を越えないと選択肢になりません。県医師会への入会には入会金・会費がかかるのが一般的なので、その費用も保険料に足して比べる必要があります。
保険料の実例(栃木県医師国保・令和8年度)
同組合の令和8年度の1人あたり月額は次のとおりです(同組合「保険料について」)。
| 区分 | 18〜39歳・65〜74歳 | 40〜64歳 |
|---|---|---|
| 第1種組合員(医師) | 68,190円 | 72,990円 |
| 組合員の家族 | 8,840円 | 13,640円 |
18歳未満の家族は8,500円で、世帯の月額上限は91,500円です。市町村国保と違い、所得で保険料が変わらない定額型です。ただし他の組合では所得割を併用するところもあります。協会けんぽとの違いを含めた比較は医師国保と協会けんぽの比較で詳しく扱っています。
医師国保を比べるときは、保険料だけでなく給付も見てください。医師国保で傷病手当金を設けるかどうか、どんな条件で支給するかは組合ごとに異なります。退職後に非常勤や開業で働く期間は、病気で休むと収入がそのまま途絶えます。保険料が近い水準なら、休業時に組合から給付が出るかどうかが決め手になることがあります。給付の有無と日額・期間は、各組合の給付案内で確認してください。
家族の扶養: 入れるなら保険料はゼロ
配偶者が会社員や勤務医として健康保険に加入している場合、その被扶養者になれれば、先生自身の保険料はかかりません。被扶養者の範囲は健康保険法第3条第7項で、配偶者などで「主としてその被保険者により生計を維持するもの」とされています。
収入の基準について、協会けんぽは、同居の場合は被扶養者の年収が130万円未満(60歳以上などは180万円未満、19歳以上23歳未満は150万円未満)で、かつ被保険者の年収の半分未満であることを目安として示しています。
医師の場合、退職直後に収入がゼロでも、非常勤勤務を始めれば短期間で130万円の目安に届くことが多いはずです。扶養に入れるのは、本当に無収入の期間が続く場合に限られると考えておくのが現実的です。配偶者が医師で、先生の側が扶養に入る場面の論点は医師の配偶者と社会保険の扶養でまとめています。判定は配偶者の勤務先の保険者が行うため、雇用保険の基本手当を受ける期間の扱いなども含めて、事前に保険者に確認してください。
4択の年間保険料を試算する
ここまでの数字を使って、年間保険料を試算します。前提は次のとおりです。あくまで公表資料の数字を当てはめた計算例で、先生ご自身の金額ではありません。
- 本人は45歳の医師。退職時の標準報酬月額は32万円を大きく超える
- 前年所得は高く、市町村国保は賦課限度額に達する
- 家族は40代の配偶者(無収入)と18歳未満の子2人
- 任意継続は協会けんぽ宮城支部。令和8年度の健康保険料率10.10%、介護保険料率1.62%、子ども・子育て支援金率0.23%(協会けんぽ)
- 市町村国保は仙台市の令和8年度の限度額
- 医師国保は栃木県医師国保の令和8年度の定額を参考値として当てはめる(仙台市在住者は同組合の地区外なので実際には加入できない。定額型の組合の水準感をつかむための参考値)
この3つの数字は、宮城(任意継続)・仙台市(国保)・栃木県(医師国保)という地域の異なる制度の公表額を並べたものです。同じ先生が3つすべてから選べるわけではありません。特に医師国保は、仙台市在住なら宮城県の医師国保の規約と保険料を確認する必要があり、金額も栃木県と同じとは限りません。水準感を比べるための計算例として読んでください。
計算結果は次のとおりです。
任意継続: 32万円 ×(10.10% + 1.62% + 0.23%)= 月38,240円、年458,880円。配偶者と子は被扶養者として追加の保険料はかかりません。
市町村国保: 世帯で賦課限度額に達するため、年113万円(年額換算)。家族の人数が増えても上限は同じです。
医師国保(参考値): 本人のみなら72,990円 × 12か月 = 年875,880円。家族4人だと月103,630円(72,990円+13,640円+8,500円×2)となり、世帯上限91,500円が適用され年1,098,000円です。
家族の扶養: 要件を満たせば0円。ただしこの前提では配偶者が無収入なので、この選択肢はありません。
この前提では任意継続が最も安く、国保・医師国保(栃木の参考値、4人世帯)との差は年60万円を超えます。差の源泉は、任意継続の上限32万円と、家族を被扶養者として無料で抱えられる点です。逆に、単身で、前年所得が低く国保の限度額に届かない場合や、非自発的失業者の軽減を受けられる場合は、国保の方が安くなることがあります。
3つのケースで判定する
ケースA: 退職して次の勤務先まで空白がある
1〜数か月後に常勤で再就職するケースです。再就職先の健康保険に加入した時点で、任意継続は第38条第4号により自動的に資格を失います。2年縛りを気にする必要はありません。
空白が3か月なら、任意継続は月38,240円 × 3か月 = 114,720円です(試算の前提)。国保は年額113万円の限度額を加入月数で按分する形になるのが一般的で、単純計算では3か月分で約28万円になります。按分の方法は市町村によって異なるので、住所地で確認してください。前年所得が高い先生なら、任意継続が有利に出やすいケースです。
注意点は、空白期間が1か月未満の場合です。月末に退職して翌月1日に入社するなら、空白はそもそも生じません。月の途中で退職して同じ月に再就職するようなケースでは、保険料がどう計算されるかを保険者に確認しておくと安心です。
ケースB: 開業する
個人立のクリニックを開業するケースです。開業1年目は、任意継続か国保か医師国保かの三択になります。
1年目は前年が勤務医としての高い所得なので、国保は限度額に張りつきます。任意継続が上限32万円で計算される協会けんぽ出身なら、任意継続の方が安い可能性が高いです。医師国保の定額型組合に入れるなら、それとも比べます。
2年目以降は事情が変わります。国保は年度ごとに前年の所得で計算されるため、開業した年の所得が反映されるようになります。開業初年度は利益が小さくなりやすいため、国保料が下がることがあります。任意継続は令和4年からいつでもやめられるので、2年目の国保料の通知を見てから切り替えを判断できます。
一方、医療法人として開業する場合は、法人の事業所として健康保険の適用事業所になります(健康保険法第3条第3項第2号)。栃木県医師国保の例では、新規加入時にすでに法人の事業主医師は加入できず協会けんぽの強制適用とされています。法人化の予定があるなら、医師国保への加入を個人開業の時点で済ませておくかどうかが論点になります。
ケースC: 非常勤だけで働く
常勤を辞めて、複数の医療機関で非常勤として働くケースです。週の所定労働時間などの条件で、勤務先の社会保険に加入するかどうかが決まります(健康保険法第3条第1項第9号)。社会保険に加入できるかどうかは非常勤医師の社会保険で整理しています。
社会保険の適用がない非常勤医師の場合、最初の2年間は任意継続が有力です。2年を過ぎたら、医師国保(栃木県の例では、社会保険に適用されない非常勤の勤務医師は加入可)か市町村国保へ移ります。このとき、医師国保の定額と、国保の所得連動の料金を比べることになります。非常勤の収入が常勤時より下がっていれば、国保の保険料は下がりますが、それでも定額型の医師国保の方が安いことがあります。
非常勤医師の収入が年130万円以上になると、協会けんぽの目安では配偶者の扶養に入れない点にも注意してください。
退職前に確認しておくこと
選択を誤りやすいのは、手続きの期限が短いからです。任意継続の申出は資格喪失日から20日以内、国保の届出は14日以内です。退職後に慌てて調べると、比較する前に期限が過ぎます。
退職の1か月前までに、次の3つを手元に揃えておくと判断が早くなります。
1つめは、在職中の健康保険の保険者名と、退職時の標準報酬月額です。給与明細か、保険者からの通知で確認できます。保険者が健康保険組合なら、任意継続の上限の扱いを規約で確認します。
2つめは、住所地の市町村国保の令和8年度保険料率と限度額です。市町村のウェブサイトに掲載されていることが多く、試算シートを公開している市町村もあります。
3つめは、加入できる医師国保の規約です。地区・医師会入会・法人か個人かの要件と、保険料表を確認します。
この3つが揃えば、前提を自分の数字に置き換えて、本記事と同じ計算ができます。
誤解されやすい3点
**1つめは「任意継続は2年間やめられない」**という誤解です。前述のとおり、令和4年1月1日から任意脱退ができます。国保料が下がる見込みが立った時点で、乗り換えを検討できます。
**2つめは「国保は収入がなくなれば安くなる」**という誤解です。国保料は前年所得で計算されます。退職した年度は勤務医時代の所得で計算され、翌年度も退職した年の給与所得を含めて計算されます。
**3つめは「医師国保は医師なら誰でも入れる」**という誤解です。医師会入会、住所地、個人か法人かなど、組合ごとの規約の要件を満たさなければ入れません。
まとめ: 退職日を決める前に、3つの数字を並べる
退職後の健康保険は、前年所得が高い勤務医であれば、まず任意継続(協会けんぽなら上限32万円)を基準にし、国保の限度額(年113万円)と医師国保の定額を並べて比べるのが出発点です。家族の扶養に入れるなら保険料はかかりませんが、非常勤収入があれば通常は入れません。
そして任意継続は最長2年で、途中でやめることもできます。1年目は任意継続、2年目は国保か医師国保へという2段階の設計が、開業や非常勤のケースでは現実的な選択肢になります。
この記事は公表資料に基づく一般的な整理で、個別の判断を示すものではありません。保険料率・限度額は市町村や組合で異なり、毎年度改定されます。具体的な手続きと金額は、在職中の保険者、住所地の市町村、加入候補の医師国保組合に確認してください。
