裁判所の封筒が自宅か勤務先に届き、開けると訴状と期日の呼出状が入っていた。勤務医にとって、これはほぼ前触れなく起きます。この記事では、医療訴訟で訴えられた勤務医が最初の48時間で確認すべきことと、訴状の送達から和解・判決までの各段階で医師個人が担う役割を、条文と最高裁の統計に沿って整理します。結論を先に書くと、最初に見るべきは訴状の「被告」欄です。病院だけが被告か、自分の名前も入っているかで、その後の動き方が大きく変わります。
なお、本記事は手続の一般的な構造を説明するもので、個別事案への法的助言ではありません。具体的な対応は、勤務先の法務部門と代理人弁護士の判断に従ってください。
最初に確認するのは「被告は誰か」:病院だけか、医師個人もか
医療訴訟で患者側が使う請求の根拠は、主に二つの系統に分かれます。ひとつは診療契約にもとづく債務不履行責任です。民法415条1項は「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる」と定めています(e-Gov 法令検索・民法)。診療契約の当事者は通常、病院を開設する法人です。勤務医は契約の当事者ではないので、この構成では病院が被告になります。
もうひとつは不法行為責任です。民法709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と定めます。主体は「侵害した者」で、勤務医か開業医かを区別していません。そのため、担当医個人が709条で被告になることがあります。同時に、民法715条1項は「ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う」と定めており、病院は使用者責任を問われ得る立場にあります(同項ただし書には免責の定めもあります)。
実務上の組み合わせは、おおむね次の三つです。病院(法人)だけが被告の場合。病院と担当医の双方が被告の場合。医師個人だけが被告の場合です。誰を被告にするかは原告側が決めることで、医師の側では選べません。
病院だけが被告のとき、勤務医は何をするのか
あなたは訴訟の当事者ではありません。答弁書を出すのも代理人を選ぶのも病院です。ただし、争点になる診療行為を担当したのはあなたなので、事実関係の説明と書証の整理では中心的な役割を求められます。病院側代理人との打ち合わせ、陳述書の作成、証人として尋問を受ける可能性まで見込んでおくのが現実的です。
注意したいのは、当事者でないからといって利害が無いわけではない点です。民法715条3項は、使用者から被用者への「求償権の行使を妨げない」と定めています。ただし条文は求償を「妨げない」と定めるだけで、求償がされるか、どの範囲までかは条文だけでは決まりません。個別の事情によるため、自分のケースは勤務先や代理人に確認してください。この点は、勤務医の医師賠償責任保険の要否を整理した記事で詳しく扱っています。
医師個人も被告のとき
あなた自身が当事者です。訴状に対する答弁書を期限までに提出する義務が生じ、代理人を選ぶのもあなたです。病院と同じ代理人がつくこともありますが、病院と医師個人の利害が一致しない場面(たとえば病院が「担当医の判断の誤り」を主張したい場合)では、別の代理人が必要になることもあります。代理人の選任を病院任せにする前に、利害が対立し得るかどうかを一度は確認しておくべきです。
訴状が届いてから48時間でやること
訴状の受領直後は、手続上の期限と、証拠の保全が最優先です。順序立てて見ていきます。
1. 期限を確認する
民事訴訟法138条1項は「訴状は、被告に送達しなければならない」と定めています。訴状と一緒に届く呼出状には、第1回口頭弁論期日と答弁書の提出期限が記載されています。民事訴訟規則60条2項は、最初の口頭弁論期日について「特別の事由がある場合を除き、訴えが提起された日から三十日以内の日に指定しなければならない」と定めています。つまり、訴状が届いた時点で残り時間は数週間しかないのが通常です。受領日、期日、答弁書の期限の三つを、まず記録してください。
期限を放置したときの効果も条文で決まっています。民事訴訟法159条1項は、相手方の主張した事実を争うことを明らかにしない場合には「その事実を自白したものとみなす」と定めています。医療訴訟は過失や因果関係の評価で争う事件が多く、事実を認めたとみなされることの重みは小さくありません。
2. 報告すべき先に報告する
医師個人が被告の場合でも、まず勤務先の医療安全管理部門や法務担当へ報告します。病院の保険で処理する場合は、病院を経由して保険会社に事故報告が入ります。日本医師会のA会員であれば、日本医師会医師賠償責任保険の対象になり得ます。日本医師会の公開情報によると、この制度は日本医師会が契約者となりA会員(A①、A②(B)、A②(C))を対象とする保険で、個別の加入手続きは不要です。対象となる事故は「医療行為によって生じた身体の障害につき損害賠償を請求され、その請求額が100万円を超えるもの」とされ、支払限度額は1事故1億円・保険期間中3億円、免責金額は1事故100万円です(日本医師会「日本医師会医師賠償責任保険制度」2026年3月18日掲載)。
保険の約款には、事故や請求を知ったときの通知義務が定められているのが一般的です。日本医師会の制度の詳細はマイページの「日本医師会医師賠償責任保険制度ハンドブック」に掲載されていると案内されており、公開ページからは通知期限の具体的な文言を確認できません。自分が加入している保険(病院契約、医師会、個人契約)がそれぞれ何を求めているか、約款や手引きの原本で確かめてください。報告が遅れて保険金の支払いに影響が出ることは避けたいところです。
3. 記録をそのまま保全する
診療録、画像、検査値、看護記録、電子カルテの操作ログは、訴訟で最も重要な証拠です。医師法24条1項は「医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない」と定め、同条2項は勤務医の診療録について病院等の管理者に5年間の保存を義務づけています。
訴状を受け取った後にカルテを書き換えることは、どんな理由でも避けてください。電子カルテは更新履歴が残るのが通常で、後からの修正は改ざんを疑わせる最も強い材料になります。記載に誤りや不足があったと気づいた場合でも、自分で直すのではなく、代理人に相談したうえで、どう扱うかを決めます。
一方で、自分の記憶は時間とともに薄れます。当時の状況、判断の理由、患者や家族とのやり取りを、日付を入れて私的なメモにまとめておくと、後の陳述書作成で役立ちます。このメモは診療録ではないので、代理人の指示に従って保管し、第三者には渡さないようにします。
やってはいけないこと
カルテの事後修正以外にも、避けるべき行動があります。患者や遺族へ単独で謝罪文を送ったり、示談の話を始めたりすることは、病院や代理人と方針がずれる原因になります。事案をSNSや同僚とのチャットに書き込むことも、守秘義務の点でも訴訟の点でも危険です。誠実に対応したいという気持ちは自然ですが、その気持ちを形にする方法は代理人と相談して決めるのが安全です。
訴状送達から終局までの時系列
医療訴訟の流れは、民事訴訟の一般的な流れと同じ骨格をもちます。違いは、専門的な争点が多く、そのぶん期間が長いことです。
答弁書の提出
答弁書は、訴状に書かれた原告の主張に対する被告の最初の応答です。民事訴訟規則80条1項は、答弁書に「請求の趣旨に対する答弁を記載するほか、訴状に記載された事実に対する認否及び抗弁事実を具体的に記載し」と定めています。ただし同項は、やむを得ない事由で記載できない場合には答弁書提出後速やかに準備書面を提出すればよいとも定めています。最初の答弁書は「請求の棄却を求める。詳細は追って主張する」という簡潔な形で出し、詳しい反論は後の準備書面に回すことがよくあります。
医師個人が知っておきたいのは、第1回期日に出廷しなくても答弁書が陳述したものとみなされる仕組みです。民事訴訟法158条は、最初の口頭弁論期日に出頭しなかった被告について、提出した答弁書その他の準備書面に記載した事項を「陳述したものとみなし」て、出頭した相手方に弁論をさせることができると定めています。第1回期日に診療を休んで裁判所へ行く必要があるかどうかは、代理人に確認してください。
弁論準備手続(争点整理)
医療訴訟では、どの時点のどの判断が問題か、医学的にどんな選択肢があったかを整理するのに時間がかかります。民事訴訟法168条は、裁判所が「争点及び証拠の整理を行うため必要があると認めるときは、当事者の意見を聴いて、事件を弁論準備手続に付することができる」と定めています。この段階で、双方が準備書面と書証(カルテ、文献、ガイドライン等)をやり取りします。
勤務医の負担が最も大きいのはこの時期です。代理人から「この時点でこの検査をしなかった理由」「当時の標準的な対応」などを繰り返し質問されます。臨床の言葉を法律の言葉に置き換える作業なので、代理人と面談する時間を確保しておく必要があります。
裁判所が専門家の説明を聞く仕組みも用意されています。民事訴訟法92条の2第1項は、争点や証拠の整理などに当たり必要があると認めるときに、裁判所が当事者の意見を聴いて「専門的な知見に基づく説明を聴くために専門委員を手続に関与させることができる」と定めています。
証拠調べ:尋問と鑑定
争点が絞られると、証人尋問と当事者尋問に進みます。医師個人が被告なら当事者として、病院だけが被告なら証人として、法廷で質問を受ける可能性があります。尋問の前には代理人と想定問答を準備するのが通常です。
医学的な過失や因果関係について、裁判所が第三者の医師に意見を求めるのが鑑定です。民事訴訟法212条1項は「鑑定に必要な学識経験を有する者は、鑑定をする義務を負う」と定めています。鑑定が入ると、鑑定人の選任から鑑定書の提出まで、さらに時間がかかります。
陳述書づくりで医師が担うこと
尋問の前には、担当医の認識をまとめた陳述書を代理人が作成し、証拠として提出するのが一般的です。文案は代理人が整えますが、中身の正確さを担保できるのは診療した本人だけです。医師の側で準備しておくと進みやすい点は三つあります。
第一に、時系列です。来院、検査、説明、処置、急変、転院といった出来事を、カルテの記載日時と照らし合わせて並べます。記憶とカルテが食い違う箇所があれば、その食い違い自体を代理人に伝えます。どちらかに寄せて辻褄を合わせるのは逆効果です。
第二に、判断の理由です。なぜその検査を選び、なぜその時点で次の手を打たなかったのか。当時入手できた情報と、当時参照していた診療ガイドラインや院内マニュアルを、版や改訂年も含めて特定しておくと、後知恵で評価されることへの反論の土台になります。
第三に、説明の内容です。インフォームド・コンセントの記録、同意書、家族への説明の場に誰が同席していたかは、説明義務が争点になったときに中心的な証拠になります。同席した看護師の名前まで思い出せるうちに書き留めておきます。
和解または判決
民事訴訟法89条1項は、裁判所は「訴訟がいかなる程度にあるかを問わず、和解を試み」ることができると定めています。医療訴訟でも、争点整理の後や尋問の後に、裁判所から和解の打診があることは珍しくありません。和解が成立し、裁判所書記官が電子調書を作成してファイルに記録すると、民事訴訟法267条1項により、その記録は「確定判決と同一の効力を有する」ことになります。
和解に至らなければ、民事訴訟法243条1項に従い、裁判所は訴訟が「裁判をするのに熟したとき」に終局判決をします。判決に不服がある当事者は控訴できます。
数字で見る医療訴訟:件数・期間・終わり方
ここからは最高裁判所が公表する「医事関係訴訟に関する統計」(令和7年分を含む版)の数字を見ます。令和7年の数値は速報値と明記されています。医事関係訴訟には地方裁判所と簡易裁判所の事件が含まれます。
新受件数
令和7年の新受件数は676件でした。令和元年は800件、令和4年は651件、令和5年は611件、令和6年は664件です。この統計に掲載された平成11年以降では、平成16年の1,110件(概数)が最も多い年でした。
診療科別では、令和7年に地裁で既済となった657件のうち、内科が158件、外科が88件、歯科が77件、整形外科が58件でした。ただし最高裁は、この数値が「各診療科における医療事故の起こりやすさを表すものではない」と注記しています。診療科の母数が違うので、自分の科が多いか少ないかをこの表から判断することはできません。
平均審理期間
令和7年に終わった医事関係訴訟の平均審理期間は24.1か月でした。同じ年の地裁民事第一審通常訴訟全体は8.9か月です。医療訴訟は一般の民事訴訟の2倍以上の期間がかかっており、訴状を受け取ってから2年前後は手続が続くと見込んでおくのが現実的です。
この2年は、勤務医にとってはキャリアの判断と重なる期間でもあります。異動や転職、医局人事のタイミングが訴訟の途中に来ることは十分あり得ます。勤務先を変えても当事者の地位は変わりませんし、前の勤務先の代理人や保険とのやり取りは続きます。
終局の内訳と認容率
令和7年の医事関係訴訟の終局区分は、和解51.3%、判決35.8%、その他(取下げ等)12.9%でした。半数あまりは判決ではなく和解で終わっています。
判決に至った事件について、請求が認められた割合(一部認容を含む)は、令和7年が23.9%、令和6年が17.8%でした。この認容率は、地裁の事件で判決総数を分母に計算されています。和解で終わった事件は含まないため、「訴えられた事件のうち医師側が負ける割合」とは意味が違う点に注意が必要です。
時効:いつまで訴えられる可能性があるのか
退職後や数年後に訴状が届くこともあります。損害賠償請求権の消滅時効は、人の生命・身体の侵害について特則があります。
不法行為については、民法724条が、損害と加害者を知った時から3年、不法行為の時から20年と定めたうえで、724条の2が、人の生命または身体を害する不法行為による損害賠償請求権については、前条1号の「三年間」を「五年間」に読み替えると定めています。
債務不履行については、民法166条1項が、権利を行使できることを知った時から5年、行使できる時から10年と定め、167条が人の生命・身体の侵害について10年を20年に読み替えています。結果として、医療事故のように生命・身体の侵害が問題となる請求は、どちらの構成でも「知った時から5年・行為等の時から20年」にそろいます。
これらの規定は平成29年法律第44号による民法改正で整えられたもので、同法の附則35条2項は、改正法の施行の際に旧法の3年の時効がすでに完成していた場合には724条の2を適用しないと定めています。古い事案ほど、どの時点の法律が適用されるかの確認が必要になります。時効が成立しているかどうかの判断は代理人に任せてください。
訴訟以外の選択肢:医療ADR
訴状が届く前の段階、つまり患者側から請求や説明の求めがあった段階では、裁判外の紛争解決手続を使う選択肢もあります。東京弁護士会の公開情報によると、東京三弁護士会は2007年9月から医療ADRを実施しており、患者側代理人の経験が豊富な弁護士と医療側代理人の経験が豊富な弁護士の各1名があっせん人に加わる体制をとっています。
同会のQ&Aでは、医療ADRは患者側だけでなく医療側からも申し立てられること、損害賠償以外の事項(過去の医療行為の説明など)も話し合えることが説明されています。また、相手方が話し合いに応じて期日が開かれた事案のうち6割以上で和解が成立し、和解解決事件は平均8か月程度・期日3〜4回で解決しているとされます(東京三弁護士会医療ADR第三次検証報告書、2024年11月)。申立手数料は11,000円(税込)、期日手数料は各当事者5,500円(税込)です。
一方で、同Q&Aは医療ADRの申立てには時効中断の効力がないことも明記しています。医療ADRを使うかどうかは、病院が組織として判断する事柄です。勤務医個人が独断で申し立てるのではなく、病院の方針として検討されるべき選択肢として知っておく、という位置づけになります。
長期化する訴訟と勤務医の心身
平均2年に及ぶ訴訟は、診療を続けながら向き合うには重い負担です。準備書面の打ち合わせ、尋問の準備、同僚の視線、結果が出ない不安が重なり、眠れない、診療に集中できないといった状態に陥る医師も少なくありません。
ここで大切なのは、訴訟の当事者であることと、心身の不調を抱えることを切り分けて考えることです。不調があれば、訴訟とは別に、産業医や外部の相談窓口を早めに使ってください。休職が必要になった場合の流れは医師がメンタル不調で休職するときの手順に整理しています。訴訟を理由に上司から不当な扱いを受けていると感じる場合は、医師のパワハラ相談窓口の記事も参照してください。また、事故の背景に長時間労働があったと考えられるなら、過労死ラインの基準を整理した記事で、自分の労働時間の位置づけを確認しておくことも無駄にはなりません。
まとめ:被告欄・期限・記録の3点から始める
医療訴訟で訴えられた勤務医が最初にやることは三つに絞れます。訴状の被告欄を見て、病院だけが被告か、自分も被告かを確認すること。答弁書の期限を記録し、勤務先と保険の窓口へ報告すること。カルテを一切触らずに保全し、自分の記憶を私的なメモに残すこと。
その後は、代理人と役割を分担しながら、争点整理、尋問、和解または判決へと進みます。最高裁の統計では、医事関係訴訟の平均審理期間は24.1か月、半数あまりが和解で終わっています(令和7年・速報値)。長い手続になるからこそ、最初の数日で期限と記録を固め、あとは専門家に任せる部分と自分が担う部分を分けておくことが、診療と生活を守ることにつながります。
参考資料
- 最高裁判所「医事関係訴訟に関する統計」(令和7年分は速報値)
- e-Gov 法令検索「民法」(415条、709条、715条、166条、167条、724条、724条の2、平成29年法律第44号附則35条)
- e-Gov 法令検索「民事訴訟法」(89条、92条の2、138条、158条、159条、168条、212条、243条、267条)
- 最高裁判所「民事訴訟規則」(60条、80条)
- e-Gov 法令検索「医師法」(24条)
- 日本医師会「日本医師会医師賠償責任保険制度」
- 東京弁護士会「医療ADRについて」「医療ADRについて(紛争解決センターQ&A)」
