定年が65歳と就業規則に書いてあり、その後をどうするかを考え始めた。多くの先生が、この問いを62歳や63歳になってから開く形で持っています。ところが65歳時点で選べる幅は、55歳と60歳に何を置いたかでほぼ決まっています。この記事では、65歳という終点を先に固定し、そこから時間を遡って「63歳で動くこと」「60歳で決めること」「55歳で仕込むこと」を順に並べます。判断材料は高年齢者雇用安定法、三師統計、日本年金機構の公表資料に限定しました。
結論: 65歳の「その後」は、65歳では決まらない
先に結論を置きます。定年後の選択肢が狭い先生と広い先生の差は、能力差でも人脈差でもなく、締切の管理の差です。
65歳以降の働き方には、締切の遠いものから順に三つの層があります。いちばん遠いのが「資格と実務経験の仕込み」で、これは取得から実務投入まで数年かかるため55歳が起点になります。次が「賃金と公的給付の設計」で、60歳到達時点の賃金額が後の給付水準を固定するため60歳が起点です。いちばん近いのが「条件の比較」で、再雇用条件の提示を受けてから外を見ても間に合わないため63歳が起点になります。
年齢の順に考えると、この三つは必ず逆順で手遅れになります。63歳で慌てて求人を見る段階では、55歳と60歳の締切はすでに過ぎているからです。だから逆算で読む必要があります。
なお、65歳以降も医師として働き続けること自体は例外ではありません。令和6(2024)年12月31日現在、医療施設に従事する医師のうち70歳以上は39,775人で全体の12.0%を占め、前回令和4(2022)年の36,487人から3,288人、9.0%増えています(厚生労働省「令和6(2024)年医師・歯科医師・薬剤師統計の概況」)。60〜69歳も60,746人(18.3%)います。合わせて10万人を超える医師が60歳以降も医療施設で働いています。問題は「働けるか」ではなく「どの働き方に着地するか」です。
終点を固定する: 65歳の時点で制度が用意しているもの
逆算の起点は、65歳時点で法制度が何を保証していて、何を保証していないかの線引きです。ここを誤解したまま計画を立てると、全部の締切がずれます。
高年齢者雇用安定法(昭和46年法律第68号)は、年齢について三つの異なる強さの規定を置いています。
第8条は「事業主がその雇用する労働者の定年の定めをする場合には、当該定年は、六十歳を下回ることができない」と定めます。これは禁止規定で、60歳未満の定年は置けません。
第9条は、定年を65歳未満に定めている事業主に対し、65歳までの安定した雇用を確保するため、①定年の引上げ、②継続雇用制度の導入、③定年の定めの廃止のいずれかを講じることを義務づけています。ここで重要なのは、義務の対象が「65歳までの雇用の確保」であって「65歳定年」ではない点です。60歳定年のまま、その後を1年契約の再雇用でつなぐ形でも第9条は満たされます。
第10条の2は、65歳から70歳までの就業機会の確保を努力義務としています。こちらは雇用に限らず、業務委託契約を締結する制度や社会貢献事業に従事できる制度(創業支援等措置)でも足ります。努力義務ですから、講じていない施設に法的な強制力は働きません。
この構造を現実の数字で確認します。令和7年6月1日現在、常時雇用する労働者21人以上の企業237,739社のうち、定年を60歳とする企業が62.2%、65歳とする企業が27.2%です。定年制を廃止している企業は3.9%にとどまります(厚生労働省「令和7年『高年齢者雇用状況等報告』の集計結果」)。
70歳までの就業確保措置を実施済みの企業は34.8%です。つまり「65歳定年」と書かれていても、その先の5年が制度として用意されている職場は3社に1社しかありません。就業規則の定年年齢を確認するだけでは足りず、65歳到達後の取扱いが規程のどこに、どこまで書かれているかまで読む必要があります。
規程を読むときに見る箇所は決まっています。定年年齢を定めた条文、定年後の再雇用または嘱託勤務に関する条文、そして再雇用契約の更新上限年齢です。三つ目が最も見落とされます。「1年ごとの更新とし、65歳に達する日の属する年度末を限度とする」といった上限の定めがあれば、その施設で65歳以降に働く道は規程上閉じています。上限の定めがない場合でも、更新の判断基準(健康状態、勤務成績、業務量)が明示されているかどうかで、実質的な継続可能性は変わります。この確認は在職中であればいつでもできるため、逆算の最初の一手として費用も時間もかかりません。
もう一点、2025年度から変わった論点があります。継続雇用制度の対象者を労使協定の基準で限定できる経過措置は令和7年3月31日で終了し、令和7年度からは希望者全員の65歳までの雇用確保が全面的に義務づけられました。経過措置の適用があった企業で、令和6年6月1日から令和7年3月31日までに基準適用年齢(64歳)に到達した29,630人のうち、基準に該当して継続雇用された人は92.1%、希望したが基準に該当せず継続雇用が終了した人は1.3%でした。65歳までの部分は、現在はほぼ自動的に確保されると考えて構いません。逆に言えば、先生方が設計すべき対象は65歳以降だけです。
63歳で動く: 提示条件を比べる相手を、外に用意しておく
終点が固定できたので、いちばん近い締切から遡ります。63歳です。
多くの医療機関では、定年後の再雇用条件が本人に提示されるのは定年の数か月前です。この提示を受けてから外部の条件を調べ始めると、比較対象がないまま返事をすることになります。医師の労働市場は求人票の数が少ない代わりに交渉余地が大きく、比較対象の有無がそのまま条件に反映されます。だから63歳の時点で、提示を待たずに外の相場を三つ持っておく必要があります。
何を三つ持つか。手がかりは、60代で勤務先の分布が大きく動くという事実にあります。
令和6(2024)年の三師統計によると、30〜39歳では病院(医育機関附属を除く)36,408人、医育機関附属の病院24,100人に対し、診療所は7,221人にすぎません。ところが60〜69歳では診療所が31,845人となり、病院(医育機関附属を除く)の25,853人を上回ります。70歳以上では診療所26,614人に対し病院12,914人と、差はさらに開きます。医育機関附属の病院に至っては70歳以上が247人しかいません。
平均年齢でみても、医育機関附属の病院39.7歳、病院(医育機関附属を除く)47.9歳、診療所60.1歳と、施設種別ごとにはっきり分かれています。
つまり60代以降の医師が実際に着地しているのは、大学病院でも急性期病院でもなく、診療所を中心とする外来の場です。63歳で並べるべき比較対象も、そこに合わせます。現職の再雇用条件、近隣の診療所・クリニックの外来枠、そして後述する健診や産業医のような非診療業務の三つを並べれば、提示条件を相対化できます。
比較の軸は年収だけにしないことです。65歳以降に効いてくるのは、当直と時間外の有無、週あたりの拘束日数、常勤か非常勤か(社会保険の加入形態が変わります)、そして契約更新の上限年齢が規程に書かれているかどうかです。年収が同じでも、上限年齢の定めがあるかないかで「その後」の長さが変わります。
63歳の時点で決めておきたい分岐がもう一つあります。65歳以降を「一か所の常勤で続ける」のか「複数の非常勤に分散する」のかです。この二つは、途中で乗り換えるコストが高い選択です。
一か所の常勤で続ける場合、報酬は維持しやすい一方で、在職老齢年金の支給停止が生じやすく、後述する繰下げの効きも弱まります。加えて、施設側の事情(経営統合、診療体制の見直し)で契約が終わったとき、代わりを一度に用意しなければなりません。複数の非常勤に分散する場合は、一つ失っても全体が止まらない代わりに、社会保険の加入要件や通勤の負担を都度設計する必要があります。
どちらを選ぶかは好みではなく、前提条件で決まります。常勤継続が現実的なのは、施設の規程に更新上限がなく、かつ自分の担当業務が当直や急性期対応を含まない場合です。この二つが満たされないなら、63歳の時点から分散の準備に入るほうが確実です。準備とは、非常勤枠を一つ増やして実際に勤務してみることを指します。書類上の候補ではなく、稼働実績のある先が一つあるかどうかで、65歳時点の安心感は変わります。
50代のうちに所属そのものを動かす選択肢を検討している場合は、50代医師の転職、判断は「残る・移る・変える」の3択で判断軸を整理しています。この記事は定年という終点からの逆算に絞っているため、転職可否の判断そのものはそちらを参照してください。
60歳で決める: 賃金の下げ幅が、後から効いてくる
次の締切は60歳です。ここで決まるのは賃金水準と、それに連動する公的給付です。
定年後再雇用で年収が下がること自体は、制度が前提としている事態です。雇用保険の高年齢雇用継続給付は、60歳到達時点に比べて賃金が75%未満に低下した状態で働き続ける60歳以上65歳未満の被保険者に支給される仕組みで、国が「賃金は下がるもの」として設計しています。
ここに2025年の変更があります。60歳に達した日が令和7年3月31日以前の方は各月に支払われた賃金の15%を限度として支給されますが、令和7年4月1日以降に受給資格を満たす方は10%が限度となりました(厚生労働省「令和7年4月1日から高年齢雇用継続給付の支給率を変更します」)。給付はさらに段階的に縮小される方向にあり、賃金低下を給付で埋める前提は弱くなっています。
60歳の時点で確認すべきことは三つあります。
第一に、60歳到達時点の賃金月額がいくらになるか。この額が高年齢雇用継続給付の基準になるため、60歳直前に役職手当や当直回数が減ると、基準額そのものが下がります。第二に、再雇用後の賃金が60歳到達時賃金の何%になるか。就業規則や再雇用規程に率が書かれている施設もあれば、個別提示の施設もあります。第三に、標準報酬月額がどう変わるか。後述する在職老齢年金の計算は標準報酬月額と標準賞与額で行うため、60歳以降の報酬の受け取り方(月額に寄せるか賞与に寄せるか)が年金の支給停止額を左右します。
国立大学法人や国立病院機構など、国家公務員の定年引上げに準じた運用をしている施設に所属している場合は、扱いが異なります。国家公務員の定年は令和5年4月から2年に1歳ずつ段階的に引き上げられ、令和13年4月に65歳となります。昭和42年4月2日以降に生まれた方は65歳定年が原則です(内閣官房内閣人事局・人事院「国家公務員の60歳以降の働き方について」)。移行期にあたる年代では、自分の生年月日で定年年齢が何歳になるかを個別に確認する必要があります。ここを1歳ずらして読むと、逆算の全部がずれます。
55歳で仕込む: 65歳以降も続く仕事は、入口が制度で決まっている
いちばん遠い締切が55歳です。ここで仕込むのは資格と実務経験で、いずれも取得してから実務で使えるようになるまでに時間がかかります。
65歳以降も継続しやすい働き方には共通点があります。定年がないのではなく、定年を置く主体がいない、あるいは年齢ではなく要件で人を選ぶ仕組みになっている、という点です。
**非常勤(外来・当直)**は、期間を定めた労働契約であるため定年制の対象になりません。ただし契約は毎回更新の判断を伴うので、実質的な継続可能性は施設との関係の厚みで決まります。常勤として在職しているうちに、非常勤先になりうる施設と接点を作っておくことが仕込みにあたります。非常勤のみで働く場合の社会保険の扱いは医師が非常勤だけで働くと社会保険はどうなるかで整理しています。
産業医は、労働安全衛生法第13条第1項が「事業者は、政令で定める規模の事業場ごとに、医師のうちから産業医を選任し」と定め、同法施行令第5条が対象を「常時五十人以上の労働者を使用する事業場」としています。選任義務が法定されている以上、需要は景気ではなく事業場数に連動します。同条第2項は産業医が「必要な医学に関する知識について厚生労働省令で定める要件を備えた者」であることを求めており、要件を満たす手続きが入口になります。三師統計では、主たる業務が産業医である医師は1,698人で前回比19.0%増です。具体的な要件と選任の手順は産業医になるには|資格要件と選任の手順を時系列で整理にまとめています。
健診・人間ドックは、健診機関との非常勤契約や業務委託が中心です。読影や内視鏡のように、単独で完結し、かつ経験年数がそのまま質に反映される業務ほど65歳以降も依頼が続きます。単価がどの工程を担うかで決まる構造は健診バイトの単価は、どの工程を担うかで決まるで分解しています。
介護老人保健施設の常勤医師は、人員基準が根拠になります。介護老人保健施設の人員、施設及び設備並びに運営に関する基準(平成11年厚生省令第40号)第2条は、置くべき医師の員数を「常勤換算方法で、入所者の数を百で除して得た数以上」と定めています。入所定員100人の施設なら常勤1人が必要という計算です。三師統計では介護老人保健施設の従事者が3,337人、うち開設者または法人の代表者が364人、勤務者が2,973人です。母数は大きくありませんが、要件が法令で固定されているぶん需要が読みやすい領域です。高齢者医療と在宅復帰支援の実務経験が、そのまま応募要件にあたります。
55歳から仕込む理由は単純です。産業医の要件取得には研修の受講期間が必要で、老健施設が求める在宅復帰支援の実務は数年単位の経験を前提とします。63歳で「産業医をやろう」と決めても、その時点から入口に立つまでに数年を要します。
もう一つ、55歳の時点で決めておきたいのが専門医資格を維持するかどうかです。更新には学会参加や症例の要件があり、費用と時間がかかります。65歳以降に急性期の診療から離れる前提であれば、維持の必要性は下がります。一方、非常勤の外来枠や健診の読影で継続する前提なら、資格の有無が依頼の可否を分ける場面が残ります。どちらに向かうかを決めないまま更新だけを続けると、使わない資格に時間を払い続けることになります。65歳以降の働き方の輪郭を先に描いておく意味は、ここにもあります。
三師統計の数字を、この視点で読み直すこともできます。医療施設に従事する医師のうち70歳以上は前回比9.0%増ですが、同じ期間に40〜49歳は1.7%減、50〜59歳は0.7%減です。60歳以降の層だけが増えています。65歳以降も働くことが標準に近づくほど、比較されるのは「働けるかどうか」ではなく「何ができるか」になります。55歳からの仕込みは、その比較に備える作業です。
年金の逆算: 65万円ラインと繰下げは、独立に決められない
最後に、年金側の逆算です。65歳以降も厚生年金に加入して働く場合、在職老齢年金と繰下げ受給の二つが同時に効いてきます。この二つを別々に考えると判断を誤ります。
在職老齢年金は、基本月額(加給年金額を除いた老齢厚生年金の報酬比例部分の月額)と総報酬月額相当額(その月の標準報酬月額+その月以前1年間の標準賞与額の合計÷12)の合計が支給停止調整額を超えると、超過分の2分の1が支給停止される仕組みです。計算式は「基本月額-(基本月額+総報酬月額相当額-支給停止調整額)÷2」です(日本年金機構「在職老齢年金の計算方法」)。
ここに大きな改正が入りました。支給停止調整額は令和7年度の51万円から、令和8年4月に65万円へ引き上げられています(日本年金機構「在職老齢年金制度が改正されました」)。この額は毎年度、賃金の変動に応じて改定されます。なお老齢基礎年金は調整の対象外です。
改正の影響を簡易試算で確認します。前提は、基本月額15万円、総報酬月額相当額60万円(加給年金・基礎年金は含みません)。あくまで前提を置いた単純計算であり、実際の額は各自の加入記録によって異なります。
改正前の基準額51万円では、15-(15+60-51)÷2=3万円しか受け取れませんでした。改正後の65万円では、15-(15+60-65)÷2=10万円になります。同じ働き方で月7万円、年間84万円の差です。65歳以降も常勤を続ける選択の経済的な意味は、2026年4月を境に変わったと言えます。
繰下げ受給は、65歳に達した月から繰下げ申出月の前月までの月数に0.7%を乗じた率で年金額が増える仕組みで、75歳まで繰り下げると最大84%増になります(日本年金機構「年金の繰下げ受給」)。上限年齢が75歳になっているのは、平成29年4月1日以後に受給権が発生した方(昭和27年4月2日以後生まれ)です。
ここで二つが干渉します。同機構は、65歳以後に厚生年金保険に加入していた期間がある場合、在職老齢年金制度により支給停止される額は増額の対象にならないと明記しています。つまり働きながら繰り下げても、停止されている部分は繰下げによって増えません。高い報酬で常勤を続けながら繰下げを選ぶと、増額の効きが弱まります。
計算の前提で見落としやすい点も押さえておきます。基本月額は「加給年金額を除いた老齢厚生年金(報酬比例部分)の月額」であり、老齢基礎年金は在職による調整の対象外です。したがって支給停止の議論は報酬比例部分に限った話になります。また総報酬月額相当額は標準報酬月額に「その月以前1年間の標準賞与額の合計÷12」を加えた額で計算されるため、賞与の比重が大きい報酬体系では、月々の給与額だけを見て判断すると実際の停止額を読み違えます。定年後再雇用の条件提示を受けた際に、月額と賞与の内訳まで確認しておく理由はここにあります。
逆算としてはこう整理できます。65歳以降の報酬水準を先に決め、その水準で支給停止が生じるかどうかを確認し、停止が生じないなら繰下げの効果は素直に出る、生じるなら繰下げの実効的な増額は目減りする。報酬を決めてから年金の受け取り方を決める順番であって、逆ではありません。なお、これは制度の仕組みの説明であり、どちらが有利かは各自の加入記録・健康状態・家族構成によって変わります。個別の判断は年金事務所や専門家にご確認ください。
まとめ: 締切の遠い順に、いま決める
ここまでを一枚に落とします。
65歳の定年そのものは、制度上は通過点にすぎません。高年齢者雇用安定法が義務づけているのは65歳までの雇用確保であり、その先は努力義務です。70歳までの就業確保措置を実施している企業は34.8%にとどまり、残りは各自の設計に委ねられています。
一方で、60代以降の医師の働き方には明確な受け皿があります。診療所を中心とする外来の場、法令が選任を義務づける産業医、人員基準が員数を固定している老健施設。いずれも年齢ではなく要件で人を選びます。要件は前もって満たしておくしかなく、そこが55歳という起点の意味です。
今日できることは、年齢に関係なく三つあります。第一に、就業規則を開いて定年年齢と65歳到達後の取扱いを確認すること。国家公務員の定年引上げに準じる施設なら、自分の生年月日に対応する定年年齢を確認すること。第二に、ねんきん定期便で自分の報酬比例部分の見込み額を確認し、65歳以降に想定する報酬と合わせて支給停止が生じるかを計算してみること。第三に、55歳より前であれば産業医要件や健診・老健の実務経験のうち、現在の勤務の延長線上で無理なく積めるものを一つ選ぶこと。
逆算の利点は、締切が可視化されることです。65歳で選べる幅を広げたいなら、遡って手を打つ以外に方法はありません。
