来年度の異動先を打診され、その場で返事を求められた。断れるものなのか、断ったらどうなるのか。判断がつかないまま日が過ぎている先生は少なくありません。この記事では精神論を置いて、医局人事に何の拘束力があるのかを条文で確かめます。そのうえで、法的に断れる部分と、実際に負担することになる関係上のコストを分けて整理し、断る場合の手順まで進みます。
最初の答え:拘束力は「医局」ではなく契約から生まれます
医療法にも医師法にも、「医局」や「医局人事」を定義した規定はありません。講座や診療科の人事調整という運用上の慣行であって、それ自体が独立した法的権限を持つ仕組みではないのです。したがって「医局の決定だから従う義務がある」という言い方は、法律の枠組みとしては成り立ちません。
では何が先生を縛っているのか。実務上は三つの層に分けて考えると見通しが立ちます。第一が勤務先との雇用契約です。第二が地域枠の修学資金契約のような、医局とは別の当事者と結んだ契約です。第三が研修プログラムの連携、紹介のルート、学位審査といった事実上の関係です。第三層に法的な義務はありませんが、実際に効いてくるのはここであることも多くあります。
医師の配置に関する制度は、この10年ほどで公的な枠組みに移りつつあります。平成30年の医療法及び医師法の一部を改正する法律により、医療法30条の23第2項第1号にキャリア形成プログラムが位置づけられ、都道府県が医師確保計画を立て、地域医療対策協議会で協議を行う形が整えられました。人を地域へ回す機能は、講座の慣行から都道府県の計画へと重心が移ってきたのです。この流れを知っておくと、打診の根拠がどちらにあるのかを尋ねることが、失礼ではなく当然の確認だと理解できます。
「断れるか」は第一層と第二層で決まり、「断りやすいか」は第三層で決まります。この二つを一緒に考えてしまうと、法的には必要のない譲歩を自分から差し出すことになります。以下では層ごとに条文を確認していきます。なお、雇用形態によって結論が変わる論点が多いため、最終的な可否はご自身の契約書を前提に弁護士や社会保険労務士へご相談ください。
大学病院の常勤職員なら、指示が届く範囲は就業規則で決まります
大学病院と期間の定めのない雇用契約を結んでいる場合、同じ法人内での配置転換は、雇用契約と就業規則の範囲内で使用者が指示できます。労働契約法7条は、合理的な労働条件を定めた就業規則を周知させていた場合、労働契約の内容はその就業規則によると定めています。院内の異動について配置転換の規定があるなら、その範囲での異動には原則として個別の同意までは求められません。
ただし、無制限というわけではありません。同法3条1項は「労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、又は変更すべきものとする」と定め、同条5項は労働契約に基づく権利の行使にあたって濫用があってはならないとしています。勤務地を限定する合意が契約書にある場合や、育児・介護の事情が具体的にある場合には、その範囲や配慮が争点になり得ます。
確かめるべきは次の三点です。契約書に勤務地や職務内容の限定があるか、就業規則に配置転換・出向の条項があるか、そして打診された異動がその条項の文言に収まっているか。就業規則は周知が要件ですから、手元にない場合は人事担当に閲覧を求めて差し支えありません。写しを受け取れない場合でも、該当条文を書き写しておけば後の確認に使えます。
労働条件の変更についても、同法8条は労使の合意により変更できると定める一方、9条は労働者と合意することなく就業規則の変更によって不利益に労働条件を変更することはできないとしています。異動に伴って給与や当直の条件が下がる話が含まれているなら、それは配置転換とは別の、労働条件変更の問題として切り分けて扱ってください。
関連病院への「派遣」は、実際には転籍であることが多くあります
ここが最も誤解されている論点です。医局から関連病院へ移る話は、口頭では「派遣」「出張」「人事」と呼ばれます。しかし中身を見ると、大学とは別法人の病院と新たに雇用契約を結び、その病院から給与を受ける形になっているケースが珍しくありません。これは法的には転籍であり、新しい雇用契約の締結にあたります。
労働契約法6条は「労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する」と定めています。合意が要件ですから、先生が署名しなければ新しい契約は成立しません。さらに民法625条1項は「使用者は、労働者の承諾を得なければ、その権利を第三者に譲り渡すことができない」と定めています。元の勤務先が先生を労働させる権利を、勝手に別の法人へ渡すことはできないという趣旨です。
つまり転籍型の異動には本人の承諾が必要であり、医局の人事調整そのものに強制する力はありません。断った結果として解雇をほのめかされた場合も、労働契約法16条は、客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当と認められない解雇は無効と定めています。労働基準法5条は、精神または身体の自由を不当に拘束する手段によって労働者の意思に反して労働を強制することを禁じています。
一方、在籍したまま別の病院で勤務する在籍出向は、就業規則等に根拠があり、その範囲内であれば転籍とは扱いが異なります。在籍出向については労働契約法14条が、使用者が出向を命ずることができる場合であっても、その必要性や対象労働者の選定に係る事情その他の事情に照らして権利を濫用したものと認められる命令は無効とすると定めています。つまり在籍出向は「根拠があれば無条件に有効」ではなく、必要性と人選の合理性が問われる余地が残されています。名称ではなく、雇用契約の相手と給与の支払者がどこになるのか、そして根拠条項があるのかで判断してください。
無給医や非常勤の立場では、契約そのものの有無から確かめます
大学院生や研究生として在籍しながら診療に従事している場合、そもそも雇用契約があるのかどうかが曖昧なことがあります。文部科学省が全国99大学108大学病院を対象に実施し、令和2年2月7日に公表した調査があります。給与の支給状況は平成30年9月期を基準に把握されたもので、現在の各大学の運用がこの時点と同じとは限らない点はお含みください。調査対象となった教員等以外の医師・歯科医師31,801名のうち、給与または謝金が支給されていた者が24,733名(78%)、合理的な理由があるため支給していない者が4,249名(13%)、理由はあるが今後は支給するとされた者が2,015名(6%)、そして合理的な理由がなく給与を支給していなかったため遡及も含めて支給するとされた者が804名(3%、29大学病院)でした。
この調査で大学側が挙げた理由には、自己研鑽や大学院の研修の一部という目的で診療に従事していたが労働者的な実態が強かったというもの(482名)、労働条件上の勤務日を超えて診療に従事していたというもの(203名)が含まれていました。つまり「研修だから無給」という整理が、実態としては労働に当たると判断され直した例が実際にあるということです。
この立場にいる先生が人事の打診を受けたときは、順番が変わります。まず自分に雇用契約があるのか、給与の支払者は誰か、労働時間はどう把握されているのかを確かめてください。労働基準法15条は、使用者が労働契約の締結に際して賃金や労働時間その他の労働条件を明示しなければならないと定め、明示された労働条件が事実と相違する場合、労働者は即時に労働契約を解除できるとしています。契約関係がはっきりしないまま異動の話だけが進む状態は、後で条件を争う材料を失うことにつながります。
この立場では、断ることよりも契約を明確にすることのほうが、結果として選択肢を増やします。雇用契約が結ばれていれば、労働時間、賃金、社会保険、労災の適用がそろって議論の対象になります。逆に契約が曖昧なままだと、異動を受けても断っても、条件を確かめる足場がありません。文部科学省の調査後、各大学には適正な雇用と労務管理の体制構築が求められていますので、確認を求めること自体は制度の趣旨に沿った行動です。
非常勤として複数施設で勤務している場合は、労働時間の扱いも押さえておく必要があります。労働基準法38条1項は「労働時間は、事業場を異にする場合においても、労働時間に関する規定の適用については通算する」と定めています。加えて同法141条は、医業に従事する医師について36協定と時間外労働の上限に関する特例を定めています。異動先が増えることで通算の時間が上限に触れる見込みがあるなら、それは断る理由ではなく、条件を詰めるべき事項として提示できます。
期間の定めがあるかどうかで、退路の作り方が変わります
断る話と並行して押さえておきたいのが、契約期間の構造です。助教や特任の職位では、任期付きの有期契約であることが多くあります。労働基準法14条1項は、期間の定めのある労働契約について、一定の事業の完了に必要な期間を定めるもののほかは3年を超える期間について締結してはならないと定め、高度な専門的知識等を有する労働者や満60歳以上の労働者については5年としています。医師の任期が3年または5年という区切りで設定されている背景はここにあります。
有期契約の場合、期間の途中でこちらから一方的に終了させることは原則としてできません。したがって、異動を断る話と契約更新の時期は、同じ線の上で考える必要があります。更新のタイミングが半年後なら、そこまでの期間で調整の余地を作る前提で話を運ぶことになります。
期間の定めのない契約であれば、別の選択肢が開きます。民法627条1項は「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる」とし、雇用は解約の申入れの日から2週間を経過することによって終了すると定めています。実務上は就業規則で1か月前などの申出時期が定められていることが多く、医療の継続性を考えれば申出はもっと早い時期になりますが、法律上は退職の自由が確保されています。
この点を知っておく意味は、退職をちらつかせるためではありません。「断れば行き場がなくなる」という不安が、実際には法律上の裏づけを持たないことを確認するためです。退路があると分かっている状態で臨む交渉と、退路がないと思い込んで臨む交渉は、出てくる条件が変わります。
地域枠の従事要件は、医局ではなく都道府県との契約です
地域枠や修学資金の貸与を受けている場合、話の相手が変わります。厚生労働省の「キャリア形成プログラム運用指針」(平成30年7月25日医政発0725第17号、令和3年12月1日一部改正)は、キャリア形成プログラムを「都道府県と対象医師の間で締結される契約」と位置づけ、対象医師はこれを満了するよう真摯に努力しなければならないものとしています。契約の当事者は都道府県であって、医局ではありません。
同指針では、各コースの対象期間は原則として9年間以上とし、そのうち医師の確保を特に図るべき区域等の医療機関における就業期間を4年間以上とするとされています。臨床研修(2年間)は原則として当該都道府県内の臨床研修病院で行い、臨床研修修了後の対象期間(原則7年間以上)も原則として当該都道府県内の医療機関で就業するという設計です。
重要なのは、この指針が医師側の事情も前提に組まれている点です。指針は、個々の対象医師の希望に対応可能となるよう複数のコースを設けるものとし、例として、地域の診療所に派遣されている間も専門医取得に必要な経験と技術を得られるコース、対象期間の一時中断を活用して大学院に進学し研究に従事するコース、対象期間を通じて大学病院に勤務しないコースを挙げています。コースの設定に当たっては、基幹施設・連携施設における専門研修の期間等、専門医の研修プログラムと整合的なものとなるよう留意することとも書かれています。
したがって、地域枠の先生が打診に違和感を持ったときの窓口は、まず都道府県の地域医療支援センター等の担当部署です。コースの変更や一時中断の余地を先に確認したうえで、医局側と調整するほうが順序として無理がありません。従事要件に反した場合の修学資金の返還条件は都道府県ごとに異なりますので、契約書の返還条項を現物で確認し、金額と時期を把握してから判断してください。
法的に断れることと、実際に払うコストは別に数えます
ここまでで、転籍型の異動には同意が必要であり、医局そのものに強制力はないことを確認しました。それでも打診を断りにくいのは、第三層の関係に費用がかかるからです。この費用は感情の問題ではなく、制度の作りから生じる構造的なものとして扱うと見積もりやすくなります。
第一に専門研修です。専門研修は基幹施設と連携施設で構成されるプログラムに沿って進みますから、異動先がプログラム内の施設かどうかで、経験症例や必要な研修期間の積み上がり方が変わります。断ることでプログラム内の枠を外れるなら、残り期間が延びる可能性を数えておく必要があります。第二に紹介のルートです。関連病院や非常勤先の紹介が講座を経由している場合、そこを通さない選択は、代わりの経路を自分で作る手間に置き換わります。第三に学位審査や研究の指導です。在学中なら、指導体制との関係を時間軸に入れて考える必要があります。
この費用を見積もるときは、金額ではなく期間に換算すると比較しやすくなります。異動を受けた場合と断った場合で、専門医取得までの期間、学位取得までの期間、次の勤務先を自力で決めるまでの期間がそれぞれ何か月ずれるのかを書き出します。断った場合の期間が短い、あるいは同じであれば、迷う理由はほとんど残りません。逆に受けた場合のほうが短いなら、断る判断には別の理由が要ります。ここで扱うのは推測ではなく、プログラムの要件と残り単位という確認できる事実です。
これらは医局や教授の意向が悪いという話ではありません。専門医制度が施設群を単位に設計され、地域の医師確保が都道府県の計画で担われている以上、人を動かす調整機能がどこかに必要で、それを講座が担ってきたという構造の帰結です。だからこそ、断る側も「調整の穴をどう埋めるか」まで含めて話をすると、話が通りやすくなります。
よく聞く三つの言い方を、条文に照らして読み替えます
打診の場でよく出る言い方は、法的な主張として述べられているわけではなく、調整の現場で使われてきた表現です。悪意ではなく、慣行として続いてきた言葉づかいだと考えたほうが実態に合います。その前提で、それぞれが何を指しているのかを読み替えてみます。
「もう決まったことだから」という言い方は、講座内の調整が終わったという事実の報告です。別法人への転籍であれば、先生の承諾がない段階で契約は成立していませんから、決定という言葉が指す範囲は講座内の割り振りにとどまります。まず「どの法人と契約する話か」を確認すれば、議論の対象がはっきりします。
「断ったら次の人事で不利になる」という言い方は、第三層の費用についての予告です。法的な制裁ではありませんが、紹介や研修の経路に影響が出る可能性は現実にあります。だからこそ、断る判断とは別に、その経路を自分の側でどう確保するかを準備しておく必要があります。
「大学院の修了に差し支える」という言い方は、学位審査や研究指導との関係を指しています。これは人事の指示とは別の手続きですから、混ぜずに切り分けます。研究計画や審査の要件を指導教員と事務に個別に確認すれば、人事とどこまで連動しているのかが見えます。三つのいずれも、確認すべき相手と書類が違うという点が共通しています。
断るときは、時期と代替案をそろえて伝えます
実務として効くのは、内容よりも時期です。人事の調整は、次年度の枠組みが固まる前の段階でしか動かせません。打診の場で即答せず、しかし返事を先延ばしにもしないという運び方が現実的です。
打診を受けた当日に聞き取るのは、勤務先、開始時期、雇用主、期間、給与の5点です。ここが埋まらないと、配置転換なのか転籍なのかの判別ができません。持ち帰って契約書と就業規則を確認し、研修や従事要件への影響を担当者と都道府県に確かめます。そのうえで、受けられない事情と、代わりに引き受けられる範囲を同じ場で伝えます。
伝え方は、事情を具体的な事実で述べるだけで足ります。家族の介護、配偶者の勤務地、研修プログラムの残り期間といった事実は、相手も調整の材料として扱えます。反対に、評価や処遇への不満を理由に据えると、人事の話が別の議論に移ってしまい、調整が止まります。代替案は「行けません」の次に置くのではなく、同時に出してください。当直の追加、外来の枠、短期の応援といった、相手が困っている穴に対応する案が有効です。
打診の前にできる準備もあります。人事調整が動く時期は施設ごとにおおよそ決まっていますから、その2、3か月前に、自分の希望を先に伝えておく方法です。打診に対して断るのは、相手にとっては調整のやり直しになります。希望を先に出しておけば、そもそも合わない候補が回ってくる確率が下がります。断り方を工夫するよりも、この先出しのほうが労力に対する効果は大きくなります。
決まった条件は、書面かメールで残しておきます。開始時期、雇用主、期間、給与、勤務日数を一往復のメールで確認するだけでも、後の食い違いを大幅に減らせます。
手元で確認する7項目
この7項目のうち、雇用契約書、就業規則、異動先の雇用主、従事要件の4点が確認できていない段階では、諾否の結論を出さないことをおすすめします。断れるかどうかの答えは、この4点の中に書かれているからです。
折り合いがつかない場合の相談先も先に把握しておくと落ち着いて進められます。労働時間や賃金の未払いに関する事項は労働基準監督署、契約の解釈や転籍の可否に関する争いは弁護士、地域枠の従事要件は都道府県の担当部署が窓口になります。各都道府県労働局の総合労働相談コーナーでは、個別労働紛争の相談を無料で受け付けています。異動そのものを争う前に、何が争点なのかを整理してもらうだけでも見通しが変わります。
相談に行くときは、雇用契約書、直近の給与明細、就業規則の該当箇所、打診の内容を記録したメモの4点を持参すると、初回で論点が絞れます。打診が口頭だけで行われた場合は、日付、同席者、伝えられた条件をその日のうちに書き残しておいてください。後から事実関係を立て直すのは難しく、記録の有無が相談の精度をそのまま決めます。
医局を離れるかどうかまで含めて考える段階に入っているなら、医局を辞めるかどうかの判断基準と円満に辞めるための進め方、そして辞める時期の選び方も併せてご確認ください。地方の関連病院への異動が論点なら、地方転職で実際に何が変わるかも判断材料になります。
まとめ:次の一歩は契約書を出すことです
医局人事を断れるかという問いは、雇用契約と別個の契約という二つの層に分解すれば答えが出ます。同一法人内の配置転換は就業規則の範囲で指示が届き、別法人への転籍は本人の承諾がなければ成立しません。地域枠の従事要件は都道府県との契約であって、医局の権限とは別のものです。残るのは研修や紹介という事実上のコストで、これは数えて比べる対象です。
次の一歩は、打診への返事を考えることではありません。雇用契約書と就業規則を手元に出し、自分がどの層にいるのかを特定することです。ここが決まれば、伝える内容は自然に決まります。なお、本記事は条文と公表資料に基づく一般的な整理です。個別の事案における可否や返還条件の判断は、必ず弁護士等の専門家にご確認ください。
